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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)8224号 判決 1956年10月30日

東京都足立区千住高砂町八番地

原告

岡部正次

右訴訟代理人弁護士

高橋実光

被告

菊地昶一

右訴訟代理人弁護士

佐々木秀雄

右当事者間の昭和三十年(ワ)第八、二二四号家屋明渡請求事件につき当裁判所は昭和三十一年八月二十八日口頭弁論を終結し次の通り判決する。

主文

被告は原告に対し東京都足立区千住高砂町八番地所在の木造瓦葺平家建居宅二戸建壱棟の内向つて右側一戸、建坪十二坪五合を明渡し、且つ昭和三十年二月一日以降右家屋の明渡完了に至るまで一ケ月金九百四十四円の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

本判決は原告において被告に対し金員の支払を命ずる部分に限り仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は被告に対し「主文記載の家屋を明渡し且つ昭和三十年二月一日より右家屋の明渡完了に至るまで一ケ月金一千五百円の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣行を求め、その請求原因として、

原告は昭和二十二年頃被告に対し請求の趣旨記載の家屋を賃料一ケ月金三十円、毎月末持参払いとして期間の定めなく賃貸した。賃料はその後合意上数同値上げされ昭和二十九年五月頃から一ケ月金一千五百円となつた。被告は昭和三十年二月分以降賃料の支払を延滞したので、原告は同年九月二十三日書留内容証明郵便を以て被告に対し右郵便到達の日から十日以内に同年二月分以降同年九月分までの前記金額による延滞賃料を支払え、もし期間内にその支払がないときは直ちに右家屋の賃貸借契約を解除する旨の書面を発し、該書面は同年十一月二十八日被告に到着した。しかるに被告は右催告の期間内に延滞賃料の支払をしなかつたので、前記賃貸借契約は右期間の経過により解除せられたと述べ、被告の主張に対し地代家賃統制令に基ずく本件家屋の賃料が一ケ月金九百四十四円であることは認める。けれども統制額を超過する賃料支払の催告といえども全く無効ではなく、右統制額の範囲内においてその効力を有すると解すべきである。原告が訴外渡辺金五郎から被告の転貸料を取立てたとの事実は否認すると述べ、立証として甲第一号証の一、二を提出し、証人岡部松三郎の尋問を求めた。

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として被告は昭和二十年三月二十日頃原告の代理人田中しまから原告主張の家屋を賃料一ケ月金十七円で賃借し、その後賃料が値上され、昭和二十九年五月以降一ケ月金一千五百円となつたこと及び被告が原告主張の内容証用郵便を受領したことはこれを認める。けれども被告は従来本件家屋の一室を訴外渡辺金五郎に対し賃料一ケ月金二千円で転貸していたが、原告は被告に対する賃料に充当するため右渡辺から直接転貸料の取立を為したから原告主張の賃料の延滞はない筈である。又仮に、右賃料の延滞があつたとしても、地代家賃統制による本件家屋の統制家賃額は一ケ月金九百四十四円にすぎないから、約定の賃料一ケ月金一千五百円の支払の催告は過大で無効である。よつて右催告を前提とする契約解除の意思表示はその効力を生じないと述べ、立証として証人渡辺金五郎及び被告本人の尋問を求めた。

理由

賃貸借の始期及び当初の賃料の額の点は暫く措き、原告がその主張の家屋を被告に賃貸し、その後合意上賃料が増額され昭和二十九年五月頃から一ケ月金一千五百円となつたことは当事者間に争いがない。証人渡辺金五郎の証言及び被告本人尋問の結果によれば、被告は昭和二十八年十月以降訴外渡辺金五郎に対し、本件家屋の一部を賃料一ケ月金二千円で転貸していたことを認め得るけれども、原告が右渡辺から昭和三十年二月分以降の賃料に充当すべき転貸料の取立を為したことは右証拠によつては之を認めることを得ず、他には之を認めるに足る証拠はない。原告が同年九月二十三日被告に対し内容証明郵便を以てその主張の通り右延滞賃料支払の催告及び停止条件附契約解除の意思表示を内容とする書面を発し、該書面は同年十一月二十八日被告に到達したこと及び本件賃貸家屋の地代家賃統制令に基く賃料の統制額は一ケ月金九百四十四円であることは、いずれも当事者間に争がない。従つて前記賃料の約定は右統制額を超過する部分につき無効であることは明かであるから、右催告にかかる賃料額は多額に失するものといわざるを得ない。けれども真実の債務額より過大な金額による催告と雖も、単にその金額が過大であるという事実だけで無効とされる理由はなく、催告の金額が過大なことのみにより又はこれとその他の事情とが相俟ち、債務者が実際の金額を提供しても債権者が到底之を受領しないであろうと推測できる場合に限り、はじめて右催告は無効であつて、かような事情がない限り過大な額による催告もまた真実の債務額の範囲内においては有効と解すべきである。本件についてこれをみると証人岡部松三郎の証言及び被告本人尋問の結果によれば、被告は賃料を金千五百円に値上げして以来昭和三十年一月までの間何等異議なくその支払を為し来つたが、原告は同年二月頃突如被告に対し、前記賃貸家屋の修理を為す必要あることを理由とし、その費用に充てるためと称し、同月以降賃料を一ケ月金三千円に増額することを要求したが被告の態度がきまらなかつたので、最終的解決に至らず、爾来被告は賃料の支払を怠つていたこと及びその後原告は右家屋の屋根の修理を為し金一万二、三千円の費用を支出したことを認めることができるから、かような事情のみから判断すれば、被告において、従前の賃料額の三分の二にも満たない前記統制額による賃料の提供をしても原告は到底之を受領しないであろうと考えることは尤もである。けれども、統制額を超えた賃料の支払を受けることは法律上刑罰を以て厳に禁ぜられているところ(地代家賃統制令第十八条)であるから、被告が原告の催告に応じ右統制額による賃料の提供をした場合において原告が法律の禁を犯してまで、敢て前記約定の賃料額を要求し、統制額による賃料の受領を拒否するであろうということは、当時右統制額につき争のあつたことの認められない本件においては、前記事情を考慮にいれてもなお容易に推測し難いことである。従つて原告が為した前記賃料の催告は、前記統制額の範囲内においてなおその効力を有すると解するを相当とする。被告が右催告に応じ約定の賃料額は固よりその統制額の支払すらもしなかつたことは被告の自白するところであるから、本件賃貸借契約は右催告期間の経過により解除せられたものといわなければならない。

以上の通りであるから被告は原告に対しその主張の家屋を明渡し且つ昭和三十年二月一日以降右家屋明渡済に至るまで統制額の限度による一ケ月金九百四十四円の割合による賃料及び賃料相当額の損害金の支払を為すべき義務があることは明かで、原告の本訴請求は右の限度において理由があるから之を認容し、その余は之を棄却すべきである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条但書を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条第一項を適用して主文のように判決する。

東京地方裁判所民事第三部

裁判官 松尾巌

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